歴史と文化
樋口一葉は「美人ではない」って?
一葉の肖像
平成16年から出回る新しい五千円札の肖像が新渡戸稲造から樋口一葉に変わります。そこで文京区と縁の深い彼女について考えてみました。
本の資料などを調べると『身長五尺足らず、髪はうすく、美人ではないが目に輝きがあった』とあります。この写真をご覧になって、どう思われますか?。私は十分に美人だと思います。
鼻筋が通り、締まった口元、大きめの耳、知性を感じさせる眉、どうしてこの顔で『美人ではない』と言われるのでしょうか。
ご存じのように幼いころは比較的裕福な家庭にそだったものの、父親が亡くなってからは、金銭的な苦労を背負い、貧困の中で原稿料を目当てに小説家を志した。
芸術的な欲求や、創作への情熱などというロマンチックな理由ではなく、日々の生活費のために小説を書く“職業作家”を目指した。そんな一葉が、よりによって、お札の肖像になるとはなんという皮肉でしょうか。
一葉と友人
(岩波新書 森まゆみ著「一葉の四季」より)
一葉の本名は“奈津”、“夏子”とも書いたそうですが、ペンネームを考えたとき、達磨大師は足がなくて一枚の葉の葦舟に乗って揚子江を渡った、との故事をもじって、“足”を“銭(あし)がない”と置き換え“一葉”とつけたそうです。
「我こそはだるま大師に成にけれどぶらはんにもあしなしにして」と残しています。
この写真の右側が一葉です。隣にいる木下杢太郎の姉の太田竹子と比べても、目がかなり大きいことがわかります。
昔は、目の大きな女性は美人とは思われていなかったのでしょう。
一葉はかなりの近眼で、それを考えても、目は大きく澄んでいたと想像できます。 因みにかつての肖像写真の多くは、写真館で修正が加えられていると考えるのが常識です。
しかし、それを差し引いても、かなりの美人です。
身長は“五尺足らず”というから、今でいえば150センチくらいでしょうか、当時としても小柄な方だったのでしょう。
それにしても、可愛く写っていると思いませんか?

一葉と家族
(岩波新書 森まゆみ著「一葉の四季」より)
これは家族と共に撮られたもので、一番右にいるのが一葉です。
手を隠しているのは、当時の迷信で“手が写ると魂を取られる”と思われていました。明治の頃の肖像写真には普通にあるものです。
一葉に関してちょっと、調べてみただけでも何冊もの本があり、インターネットなどで検索すると、9880のサイトがヒットしてきます。これだけ多く研究されている作家も珍しいとおもいます。これは彼女のたぐいまれな才能と悲劇的な人生に惹かれるということもあるでしょうが、彼女自身が膨大な日記を残していたということも理由のひとつでしょう。
師である半井(なからい)桃水への思慕や、日常生活の細々としたことを書き留めて置いてくれたことが、後の研究に役に立っているのでしょう。松本清張は作家になる第一条件として“文章を書くことが好き”であることをあげています。彼女はまさにその通りだったのでしょう。
これから、この『歴史と文化』のコーナーでは、毎月、実際に文京区内にある一葉やその他の作家達にちなんだ史跡を紹介していきたいと思います。では次回をお楽しみに・・・。(2003.8.1)

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